こんにちは!
TaCITの朝比奈です。
2019年も終わりが近づいてきました。
今年はセラピストとして5月にデビューし、日々皆様と接する中で本当に多くを学ばせて頂きました。
この仕事を通して出会ったセラピストの方々、タシット運営に関わる皆様に支えられ今のこの仕事を続けられている事、
何よりお客様へ対し感謝の言葉以外見当たりません。
たくさんのご指名を頂き、こちらを気遣ってくださったり、尊重し立てて下さったり、、
素敵な皆様へ恵まれ、ひたすら幸せ者だなと感じております。
まだまだ未熟者ゆえ、すじ違いな判断や言動を起こしてしまう事もあるかと思いますが、
皆様から頂いたご縁・恩義をしっかりを噛み締め、この先より一層の素敵な時間を一緒に共有出来ればと思います。
2020年もよろしくお願い致します!!
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さて。
【ご縁・恩】
時として、ビジネス会で社交辞令のように定型文化して使いがちな言葉でもありますが。
「この言葉の意味を教えてくれた人。」
急激に話しを展開させますが、
私の一番大切な、最愛の人について書いてみます。
そもそも、人に優劣をつけ「一番」とゆう表現を使う事は違うのかもしれませんが、何があっても揺るがない、圧倒的にnumber 1でありonly one であり、special oneな人。
はい。
私の実の祖母です。
英語的な意味合いで、I love her です。
いつしか祖母の事を人に知ってもらいたいなと思っていた事もあり、この度満を持して書きました。
※長文につき、気が向いた頃合いにどうか暖かい心持ちで読んで頂けますと幸いです。
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祖母は享年80歳で数年前、
人生の幕を閉じ天に召されました。
底抜けの優しさで誰にでも笑顔を振りまき、ご近所さんから慕われるとても人徳のある人でした。
亡くなってから葬儀関連の一切を担当してくださった近所の住職様が「惜しい人を亡くしました」と涙を流して下さり。
それが孫として本当に誇らしく、同時に祖母が亡くなったという事実、悲しみを煽りました。
昔、祖母宅にある引き出しの中から若かりし頃の写真を見つけた事があります。
モノクロ写真に映る白いワンピース姿の若い女性。
女優の竹内結子さんにソックリな、とても美しい女性だったのを鮮明に覚えています。
祖母は第二次世界大戦後まもない頃
14歳の幼い少女だった時、天涯孤独となったそうです。
天涯孤独とは、同じ血を引く家族、親族の一切がこの世からいなくなった状態の事です(疫病、餓死、戦死で皆様亡くなってしまったそうです。)。
戦後まもない荒れ果てた広島の田舎町で、14歳の少女がどのようにして一人で生き延びたのか。。
今を生きる私には想像もつきませんし、想像を絶します。
詳細は聞きませんでしたが
ただ、節目で当時の話になったときには「あの頃はホンマに辛かった。。」そんな事を言いながら祖母はいつも号泣していました。
大粒の涙を流す老体の姿を目の当たりにし、その都度ひどく動揺してしまった事を覚えていますし、本当に凄まじかったのだろうと肌で感じとりました。
生き延びるのにいっぱいいっぱいだったと思うので、時に人道に背くような行動をとった事もあったのかもしれません。
荒れ地に一人取り残された美少女は、悪い男に狙われた事もあったかもしれません。。
ただ、基本的には人から救いの手を差し伸べてもらい命を救ってもらったのだと、孫は勝手に考えています。
本当の意味で絶対絶命の中、
人から与えてもらった無償の優しさは、人並み以上に祖母へ感謝の気持ちをもたらし、その時に頂いた徳や恩を返すかの如く後世の人生を全うした。
そのように孫の目には写りました。
幼い頃は家庭環境に問題があったなどと、うっすらと前の日記に書いておりましたが、、
そんな事もあってか、小さい頃は祖母の家で過ごす事も多く。
よくわがままに付き合って一緒に遊んでくれました。
私がどんな事をしても「元気がええのぉ。」「おもしれぇ子じゃのぉ。」などと言い笑ってくれました。
お恥ずかしい話かもしれませんが、
小、中学生の頃は軽く素行が荒れていた時期があり。
引くような話しかもしれませんが、署へ連行され聴取を受ける場面もしばしば。
周囲の人間から罵声を飛ばされる事もありましたが、そんな一切を受け入れ「威勢がええのぉ」と笑い飛ばし、味方になってくれたのが祖母でした。
「この子には誰かが救いの手を差し伸べてあげないとダメになってかもしれない。」
そういった心持ちで受け入れてくれていたのかもしれません。
勝手に被害妄想を膨らませ、
「自分が生まれてきた意味など果たしてあるのだろうか?」
そのような事を考えるクソガキにとって、そんな祖母の優しさは人並み以上に響き染み渡り、次第に「こんな人になりたいな」と考えるようになりました。
感謝してもしきれないですが、祖母のくれた無償の優しさには本当に感謝してます。
そんな祖母は、私が物心のついた頃には既に心臓病を患っておりペースメーカーを内蔵して生活を送ってました。
時おり病気のせいでしんどそうな表情を見せる事もあり、そんな祖母の姿を目にした時は居た堪れなくなり、「どうか祖母を元気に健康で長生きさせて下さい」と、ひっそりと天に向かい何度お祈りした事でしょうか。
そんなお祈りを神様や祖母が感じ汲み取ってくれたのか、80歳まで頑張って長生きしてくれました。
「この人の為なら自分の心臓を移植してもいい」などと、
自分の心臓が祖母に適応出来るのか?
本人がそれを本当に喜ぶのか?
そんな当たり前の事も考えず、
ただ本気でそれが可能ならそうしたいと考えたりもしましたが、
それは祖母のくれた無償の優しさに本当の意味で救われていたからこその、当たり前のように湧き出す思考だったと思います。
ふとした時に、
「聖母」という言葉の意味を調べた事があります。
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聖母…聖母マリア
・人格の優れた尊崇される人の母
・人徳を極めた女性に対する称号
・子どもや病人、貧者といった弱者を守護する者
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このような記述を見てからは、まさしくこれは祖母の事だなと勝手に思い込んでいます。
人徳を極めた人間とは、絶対的な苦しみも人からの優しさも経験し、多くの人に触れなんびとの苦楽も共感し理解できる人なのだと思います。
祖母の生き様、優しさにはそれが滲み出ていたのように感じます。
青二才の私にとってまだまだ程遠いところなのかもしれませんしが、いつしかあの人のような人間になれたらいいなと思い日々を送っております。
その世代の老人にとっては少し刺激的であろう髪染めやピアス姿の私を見た時も「かっこええのぉ。」と言って笑ってくれました。
少々人には説明のしずらいこの仕事の事も、きっと受け入れ影ながら応援してくれていると思います。
そんな最愛の祖母に、この正月も挨拶をすべく少々広島へ帰省して参ります。

P.S.
2020年。
ご縁ある皆様にとって、ハートフルで素敵な1年となりますように、、