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とあるエピソードと
そこから学んだ人生観のお話し。
小学生の頃、
近所に住んでいるガンコばあちゃんに言われたある言葉は、
人生観にいい影響を与えてくれた。
おばあちゃん:「バカがうつるけぇうちの子(孫)と遊ばんでええ!!」
急に怒鳴られた。
それ以来、その孫のつかさくんとは
遊ばなくなった。
つかさくんと遊べなくなったのは当時悲しかったが、
それを言われて傷つきはしなかったし、
少年は「よく知りもしない人を差別する大人にはなりたくないな」と、
この事件から短絡的に学んだ。
しかし、あまりいい噂のない子供だったのかもしれないのでそのおばあちゃんの判断は正しかったと思うしむしろ私に非があったのだろう。
大人になった今だからこそ、反面教師的にそのおばあちゃんへ感謝すらしている。
そのおばあさんとは深い関係でもなく、挨拶もろくにしない仲だったのでお互いの事をお互いによく知らない。
目の前の当人と向き合い歩み寄ろうとする前の段階で見下す人間にならずに済んだ。
学歴、職歴、祖先の血筋、政治・宗教観。
その人の善悪を決める判断材料とはならないし、
実際に向き合い寄り添っていく中でどういう人なのかを知っていくものだと考えている。
(先入観というやっかいな問題も存在するが
一旦割愛する。)
そういった心持ちで人と向き合ってきた結果、
本当に人に恵まれている人生だなとしみじみ感じている。
その一方、好意的に感じてくれている人を裏切ってしまった時には痛烈な罪悪感に悩まされる。
裏切るつもりがなくても、受取手の気持ちに依存することをしっかり見直さねばならないと感じた事もあった。
学歴、職歴がエリート街道まっしぐらな人は率直に凄いと思うし尊敬する。
その人が頑張った軌跡であり誰にでもマネできることではない。
しかし、学歴や経歴のある人がそれを元に誰かを見下していた時には、そういう人を一番見下すべきなのでは?と考えてしまうこともる。
人の気持ちに寄り添うことを自らシャットダウンした、狭い視野でしか人を捉えるができない人間は人付き合いにほとほと疲れ果てていることと情念すら感じる。
「頭の良さ・お金の有無」と「心の富」は確実にリンクはしないと、どこかのお偉い人文学者から教わったので、そういう人は心が豊かでなく寂しい人なのだろうな、、と考えるようにしている。
地頭がよくエリート街道を歩く人は
その人なりに、その人にしか分からない苦労、他者からの偏見の銘を持たれることがあるのだろう。
エリートでスマートで、人徳のある人間に憧れるが、そんな背伸びはしない。
人に恵まれる人生であればそれだけで十分だ。