否定されること

こんばんは。
トリリンガルセラピストの藍沢優作です。

 

僕は否定されることが嫌いです。

 

もちろん自分の考えが絶対正しいなんて思ってません。
だって、正しさなんてどこにもありませんから。

 

「正しいものは何なのか
それがこの胸に解るまで
僕は街にのまれて 少し心許しながら
この冷たい街の風に歌い続けてる」

僕は歌い続けませんが、尾崎豊もこんなこと言ってました。
(『僕が僕であるために』より。)

 

 

少し逸れましたが、否定されることが嫌いだからこそ、誰かのことも決して否定しません。

 

否定したってどうせその人は変わりません。
人嫌いとかではありません。

 

自分とは違う、人の考えをどうにかしたい、変えたい、というのは、
例えそれがその人のことを思った優しさのつもりであっても、僕は要らないことだと思います。

 

 

悪い言い方をすれば、他人のことは放っておけばいいんです。
全ての人間の”個”は尊重されるべきです。

 

分かり合えないことなんてあるに決まってるので、それが自分にとって許容範囲内にある内だけ一緒にいればいいと思うんです。

 

逆にこの人の考えは自分には合わない、と思ったら、程よく距離を取ればいいです。

 

 

他人をどうにかしようとすることほどストレスフルなことはないです。

 

僕はこれまで生きてきて、そういう人との向き合い方をするようになりました。

 

なってしまいました、なのかもしれませんが。
人に執着するのを心のどこかで恐れているのかもしれません。

 

どうしても相手との距離が近くなると、その人とずっと一緒にいたいと思うからこそ、こうあって欲しい、という気持ちが出てきてしまうのはわかります。
肉親や恋人ならなおさら。

 

 

でも、それは大抵はいい結果を生まない気がします。
だから僕はそういう気持ちが出てきたら、なんとかして抑え込みます。

 

こんな僕は寂しい人間ですかね。

 

でも、人のことを信用できないという訳ではないんです。
人を信用しないと生きていけないですしね。

 

これだけはわかって欲しいです。僕は執着をしたくない、と言ってるだけなんです。

 

まとめると、全ての人間は僕にとって気まぐれな猫です。
そう思って生きてます。

写真: HONEYLIFE TOKYO ジンさん撮影

またスタバ、、、