◇己の正義◇

 

 

時に、
この世の中は残酷であり
シビアな側面があると感じることがある。

それは
ざっくり言うと

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自分が正義と信じ起こした行動と結果が
必ずしも伴うわけではない
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である。

仕事の場面であれば、
仕事に費やした単純な労働時間が
生産性・成果・評価に比例しないことも。

下記、
A,Bさんを例に。

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Aさんは、根っからのマジメキッチリマン。
残業もいとまずガムシャラに終電近くまで頑張る。
努力の鬼。根性論。
しかし、柔軟に物事を捉えることができなかったり不器用な側面もある。

Bさんは、不真面目という訳ではないが
淡々と論理的に作業をこなし、皆が残業をしている中定時には必ず帰宅。
そんな一方で世渡り上手。人につけいるのが上手かったり、人としての器用さや柔軟性を持ち合わせている。
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極端な例かもしれないが、
AさんよりもBさんの方が単純な労働時間と反比例して結果を出す場面がある気もする。
もちろん、一概には言えないとは思うが。

自分が信じた正義と
相対的な評価・結果が伴わない。

ずる賢く世を渡るやつが評価され、
ガムシャラに頑張ってる奴が
上司からあれこれガミガミ言われることもある。

矛盾感。
苛立ち。

特に芸能の世界なんて
何が正義で何が真実なのか
もはや分からないような印象すら受ける。
あまり詳しいことは知らないが、なんとなく。

コネクション、賄賂、政治的な背景。

何を持って正義と定義づけられ
この世の中では何を正義と言うのか?
正義とは何なのか?

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以前は本気でプロのバスケットボール選手を志してていたこともあったが、
その頃の私は確実にAさんだった。

むしろ、Aさんの説明は
昔の自分を思い返しながら書いた。

今の自分からは想像もつかないくらいに
きっちり者のクソマジメなやつ、バスケに関しては。

一年の頃は
雑用の仕事を人一倍頑張り。

傍らで、知人からの誘いも断り
夜遅くまで体育館で自主練習、筋トレ。

帰宅してご飯とお風呂の時間以外は
大体NBAの試合や、録画したビデオを見返しながらボールを触ってそのまま寝る。

朝早く起きて学校が始まるまでボールハンドリング。なんなら、授業をサボってバスケの座学を勉強していた。

バスケットボールの為の人生、時間。
全てがそうだった。

それでも、
結果プロにはなれず。
完全なる挫折。人生の敗北。

考えが偏りすぎていたなあと
大人になって気づく。

根性論、精神論、体力論、気合い。 努力。
ただそれだけ。
凝り固まった狭い価値観、視野。

一方で、
基礎練習は適度に手を抜き、全体練習が終わるとすぐ帰り派手に遊んでるやつが試合に出ていた。

もちろん、本当に頑張ってる人達が
大体試合に出てはいた。

そして本気でやってて、その上で凄い人達がプロになったが、適度に手を抜いていたやつもバスケで就職した。

自分には
才能がなかった。

【試合に出て結果を残す】
という、才能がなかった。

身長の才能もなければ、柔軟で起用なプレイも

一言でまとめると上手にやる才能(スキル)がなかった。

適度に手を抜いてた奴は
試合に出て結果を残していた。

 

スポーツの世界では

かなり結果が全てだ。

そんな現実に
悲しさと悔しさを感じることしかなかったが、
大人になった今はそのことを受けいれている。

バスケから離れ、
色々な世界に触れることで
広い視点を持てるようになった気がする。

それは適度に手を抜くことを覚えたという訳ではなく、”物事を様々な視点をもち考察できるようになった”ということだ。

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世の中は時に残酷で不平等だと感じる時が今でもあるが、
必ずしも自分が信じた道を歩けば自分の思い描く結果がでる訳ではないことを知った。

だから、
自分が信じた道を歩き
そんな道に賛同してくれる人が
一人でもいるのであれば、

結果に対する執着は
少しは薄れるようになった。

バスケに敗北したことで
自分と世のバランスをとれるようになった。

バスケで挫折して良かったと
思えるようになった。

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自分が正義と信じ起こした行動と結果が
必ずしも伴うわけではないが、

それを踏まえて、
自分が納得できる形なら
それでいいんじゃないのかなあ?
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現時点では
そういう捉え方に収まっています。

思うような結果が出ない方の
何かのヒントになれば幸いです。