ここ1、2年、ヴェイパーウェイヴというジャンルの音楽に嵌っている。
口で説明するのも難しいので、適当にYouTubeなどで検索してもらえれば好いかと思うが、私が捉えるに、これは都市生活者にとっての民族音楽、フォークロアに近いのではないかと密かに感じている。
つい最近も、松原みきの「真夜中のドア」という、80年代にリリースされたシティ・ポップが、世界的にヒットチャートを駆け上がったそうだが、
(補足すると、こうしたシティ・ポップの音源は、それこそヴェイパーウェイヴやその派生であるフューチャーファンクの主要な素材として用いられる)
加速主義の行き着いた果てにぶち当たった現代人の閉塞感には、こうした「輝かしき未来を盲信していた時代の」コンテンツこそが、むしろ耳に懐かしく心地いいのだと思う。
大量消費時代の文化がリバイバルされているのは、何も音楽という枠組みに限ったことではない。
小さい頃ビデオゲームフリークだった私にとっては、最近ピクセルリマスターされた「ファイナルファンタジー(1~6)」シリーズなどは、まさに世代直撃というところであるし、15年越しにようやくリメイクを遂げた「エヴァンゲリオン」などは、結局7年も前に連載を完結させているコミックの筋書きをなぞる形で自己模倣に終わった。
シミュラークルなどという手垢にまみれた社会学用語を今更引っ張り出すのも失笑ものだが、物理的拡張が限界を迎えつつある昨今の科学世界にあっては、今日も金太郎飴のごとく排出される「アイドル(Idol=偶像の意)」という理想人のアーキタイプが、「推し」という呼称を隠れ蓑として宗教的崇拝を受けている。
物質の潤沢さを追い求めた行き先がこの有様とは、皮肉と云うより外はないだろう。
粗製乱造のチープな未来を風刺するものとして発生したはずのヴェイパーウェイヴ。
うず高く積み上がったプラスチックのガラクタの山の中で、似たような環境音を淡々と拾い集めるその設計思想に、どこか私が安らぎを覚えてしまうのは、何より自分自身が同じく何かの代替品であるという、漠然とした感覚に浴しているからに違いはないだろう。
先程のゲームの例になぞらえるなら、ここはもう魔王を倒したあとのRPGの世界だ。
ここにはクリアすべき目標はもはや無い。
私はレベルの頭打ちに達した状態のまま、さしたるイベントとも強敵とも遭遇しない、誰かがマッピングし終えたフィールドの上を、無目的のまま延々とうろつくのみだ。
エンディングが決して訪れないソーシャルゲームに、かつての私の同族たる若者たちが日夜血道を上げているのも、最近はなんとなく頷ける気がする。
私は自分を、いつでも遅れて来た者だと思っていた。
黄金期と呼ばれる時期を過ぎた頃に現れては、先達の残した足跡をただひたすらに解読する毎日。
アメリカの文学作家、トマス・ピンチョンの著には、「Slow Learner」という短編集があるが、まさしく私は「のろまな学生」であり、先見を持つプロメテウスに憧れるまま、エピステーメーに縛られ続けるしがない虜囚に過ぎないのだ。
ループ再生するパターン化された映像と音列の海に浸かりながら、のろまな子である私が為すべきことは、一体何なのだろうか。
“ただ、一さいは過ぎて行きます。”
、、、
かぶれでも何でもなく、いまの私を形容するにここまで相応しい引用もあるまい。
“ただ、一さいは過ぎて行きます。”
願わくは、過ぎ去ったもの達が綺麗なものであるように、過ぎ去ることでも綺麗なままであるように、過ぎ去りつつある時を引き止めずにいられるように、穏やかな諦めを持ち続けていたいと、強く思う。
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